☆「翹楚篇を読む」(米沢古文書研究会双書)
上杉鷹山の姿を側近の莅戸善政が記録した「翹楚篇(ぎょうそへん)」の解読書を出版した。 古文書研究会双書の3冊目になる。 翹楚篇は,莅戸善政が藩政改革に復帰する前の寛政元年ころに 書かれた鷹山の言行録で,鷹山の子の顕孝に献呈された。 江戸参勤のおりに家臣から花見に誘われても下戸のため行くのを嫌がる様子とか, 鷹山の人となりを知ることができる56のエピソードが記載されている。 今回の双書は,原文(米沢図書館所蔵)の翹楚篇写しとその解読に加えて,現代語訳もあり,古文書を 読めない方でも内容を詳しく知ることができる。 2000円。購入は高橋0238-21-2322まで。 「翹楚篇を読む」その1(PDFファイル) 「翹楚篇を読む」その2(PDFファイル) 「翹楚篇を読む」その3(PDFファイル) |
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☆「飯粮集を読む」(米沢古文書研究会双書)
「飯粮集」は,天明3年,米沢藩で編纂した救荒書だ。天三の飢饉と言われる天明3年の大飢饉に直面し,藩医を動員して食べられる野草などの解説書を作成した。 当時の藩主は上杉鷹山,鷹山は2年後の天明5年に隠居する。 「飯粮集」の20年後に,米沢藩では版木出版で「かてもの」を出している。「飯粮」も「かてもの」も同じ意味だ。 この「飯粮集」は写本しか存在せず,必ずしも読みやすい筆跡ではないが,変体仮名が多く使用されているので古文書の勉強になる。 「『飯粮集』を読む」は,右ページに解読,左ページに原文を配置し,古文書の初心者の勉強に配慮した編集だ。 直接に飢饉による被害を記述した部分は少ないが,山菜の利用法は「ゆでさわし」が多く,天ぷらも塩漬けも困難な江戸時代の状況がしのばれる。 また,「まつかわもち」「うしひる」など,少々意味不明な事項もあるが,この謎解きの解説もなされている(謎解きが正しいかどうかは読者の検証を待つ??)。 1冊1000円,書店での販売はなく,21-2322高橋まで。 |
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☆「御成座敷邯鄲枕」(米沢古文書研究会双書)
宝暦13(1763)年2月,米沢城二ノ丸で藩主上杉重定の側近森平右衛門(もりへいえもん)が,江戸家老竹俣当綱(たけのまたまさつな)に殺されるという事件が起きた。 森は,部屋住みの重定の小姓となり,重定の兄である上杉宗憲,宗房の二人の藩主が若くして亡くなったことで重定が藩主となり,森の出世が始まった。 当時,米沢藩は財政難に苦しみ,森は藩政改革に挑んだが,一方,恣意的に藩政を牛耳ったことから上級家臣である竹俣に殺害されることになった。 藩主重定は側近が殺され,竹俣の「自由働き」を叱責するが,竹俣は殺害を正当化する奉行や侍頭たち上級家臣の連判状を持参して重定を強引に納得させた。 この,森平右衛門殺害の顛末を書いた物語が「御成座敷邯鄲枕」である。1冊1000円,残部僅少。 |
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☆「古文書に魅せられて」(米沢古文書研究会50周年誌)
2016年(H28)10月8日,米沢古文書研究会50周年記念講演会を開催し,50周年記念誌を発行した。 残部あり |
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☆ 「飯豊乃山婦美(いいでのやまふみ)」
これは,天保9年に飯豊山登山をした米沢藩家臣の記録。著者の泉崎賢親(真畔)は米沢藩の与板組に属する中級家臣で,
藩記録所勤務の右筆で,詩歌に通じ,本書中にも所々に和歌を組み入れている。米沢から大日杉登山口のある中津川で一泊し,悪天候の
中を飯豊山に登った大変な様子が克明に記録されている紀行文。米沢古文書研究会で復刻し,解読をつけて出版している。次の現代語訳は,意味不明
の箇所もありますが,読解の参考にして下さい。(和綴じ豪華本で,6500円のところ特価2000円で販売中。残部僅少)
飯豊のやまふみの現代語訳(PDFファイル) |
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☆ 「古文書とともに」(米沢古文書研究会40周年誌)
2006年(H18)12月26日,米沢古文書研究会40周年の記念誌です。 当時の会員で,2021年現在も会員の方はおられなくなりました。 錚々たるメンバーが活発に活動している様子が分かります。 現在,絶版になっているので,下記にPDF化したものを掲載しておきました。 米沢古文書研究会40周年誌(PDFファイル) |
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☆ 「総紕」解読
「総紕」は上杉鷹山の後期改革の基本を分析したものです。 上杉鷹山の藩政改革は,前期(竹俣当綱が中心,天明2年に竹俣当綱失脚して中断),中期(志賀祐親が中心,改革が停滞),後期(莅戸善政が中心)に分けられます。 「総紕」は,寛政3年(1791)に莅戸善政(のぞきよしまさ)が中老として復帰し,藩政改革の課題を分析したものです。 この「総紕」を解読し,簡単なコメントを付しました。PDFのみで,紙の出版はありません。 「総紕」の原文は,米沢図書館のデジタルライブラリーに掲載されています。 「総紕」解読(PDFファイル) |
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☆ 「岩瀬小右衛門覚書」解読
岩瀬小右衛門覚書は,上杉綱勝が嗣子なく急逝し,保科正之の尽力でお家断絶は免れたものの,屋代郷(現,高畠町)3万石と信夫・伊達(現,福島市・伊達市)12石を 失い,屋代郷については,米沢藩預地となった時代の経緯を記録したものです。 岩瀬家は,米沢藩の絵図方ですが,当時は預地の代官でした。 下記のPDFは,この「岩瀬小右衛門覚書」を解読したものです。PDFのみで,紙の出版はありません。 「岩瀬小右衛門覚書」の原文は,米沢図書館のデジタルライブラリーに掲載されています。 「岩瀬小右衛門覚書」解読(PDFファイル) |
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☆ 「邇言」解読
「邇言」は,米沢藩11代藩主の上杉斉定が世子の時に、莅戸政以が斉定に藩財政の窮乏と改革の経緯を説き起こしたものです。 莅戸政以は寛政三年の改革を行った莅戸善政の子であり、善政同様に米沢藩奉行となって藩政改革に努めました。 「邇言」は、具体例を挙げて藩財政の窮乏の様子を描写しており、私たちにとっても、米沢藩の窮乏を良く知ることができる文書です。 下記のPDFは,この「邇言」を解読したものです。PDFのみで,紙の出版はありません。 「邇言」の原文は,米沢図書館のデジタルライブラリーに掲載されています。 「邇言」解読(PDFファイル) |
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☆ 「国政談」解読
「国政談」は,上杉鷹山の藩政改革第1期改革(明和・安永改革)を担った竹俣当綱が、主要な改革内容を詳述したものです。 竹俣当綱は、上級家臣の侍組に属し、上杉重定の小姓頭だった森平右衛門を殺害し、重定隠居の後の上杉治憲(鷹山)の改革を主導しました。 本解読書では分かりませんが、国政談原本は竹俣自筆と思われますが、彼の性格そのままに大きな字で紙をたっぷりと使っています。 下記のPDFは,この「国政談」を解読したものです。PDFのみで,紙の出版はありません。 「国政談」の原文は,米沢図書館のデジタルライブラリーに掲載されています。 「国政談」解読(PDFファイル) |
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☆ 解読「越後古実聞書」
「越後古実聞書」は,上杉景勝の故実記で、謙信が急逝し、御館の乱で三郎景虎を破り跡目を継ぎ、信長の死後に秀吉に臣従し、会津に国替えとなる経緯の記録です。 原作者は不明ですが、文政4年に書き写したと後書きにあります。文章は難解な箇所が多く、解読も検討する必要があるかと思われます。 この解読はPDFのみで,紙の出版はありません。 「越後古実聞書」の原文は,米沢図書館のデジタルライブラリーに掲載されています。 「越後古実聞書」解読(PDFファイル) |
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☆ 解読「米沢雑事」
「米沢雑事」は,米沢のさまざまな話題(雑事)を集めたものですが、たね本は山田近房「米沢雑事記」で、これをいろいろな人が写本を重ねる際に、不用と思われる部分を削除し、 さらに雑事記に記載のない事柄を追加したもので、渡部廣榮さんの蔵書と記されています。米沢図書館所蔵の林泉文庫に所収されています。 この解読はPDFのみで,紙の出版はありません。 「米沢雑事」の原文は,米沢図書館のデジタルライブラリーに掲載されています。 「米沢雑事」解読(PDFファイル) |
文書名 | 著者など | 始期 | 終期 | 備考 |
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佐藤貢司氏文書 | 手紙など | 2024/2 | 現在 | 佐藤貢司氏(佐治産業)所蔵の文書のうち幕末に江戸から出した手紙など29通の文書(1部例会,★★) |
高橋家文書 | 高橋家の留書 | 2022/6 | 2024/1 | 高橋家に残されていた勤書、宗門改帳などの控え(1部例会,★★★) |
直江状 | 直江兼続 | 2022/1 | 2022/5 | 直江兼続のものと言われているが寺子屋の教材でもあった。(1部例会,★) |
国政談(下) | 竹俣当綱 | 2021/12/ | 現在 | (上)は1部で読んだ。(2部例会,★) |
増補旅使奏訓 | 赤津権左衛門時倫 | 2019/5/ | 現在 | 江戸の留守居勤めの心得などを書き留めたもの。(1部例会,★★) |
売賀家文書 | いろいろ | 2018/12/15 | 2019/3/16 | 売賀家の寄贈文書。(1部例会,★★) |
国政談(上) | 竹俣当綱 | 2018/2 | 2021/12 | 鷹山の前期改革の諸事項を記載,竹俣当綱は,奉行だったが,天明2年失脚,本書は失脚前に書いたもの(1部例会,★) |
井蛙鄙談 | 藁科立遠 | 2017/5 | 2021/11 | 米沢近辺の様々な出来事,うわさ話を集めたもの,藁科立遠は藩政に対する意見書「管見談」の著者,養父立沢が七家騒動に関与している(2部例会,★) |
好古堂随筆「いろは」 | 莅戸善政 | 2017/8 | 2017/8 | いろは47文字の成り立ちを書いている,入門講座の教材として用いた(★) |
長家文書 | 長右馬之助など | 2016/11 | 2017/3 | 長さんの先祖の手紙を読む。上杉茂憲に随伴して,慶応2年,京都警護に行った父右馬之助と米沢の子どもらとの手紙などを読む。幕末京都の緊迫感とみやげを頼む米沢の子どもらの緊張感のなさが分かる。(1部例会,★★) |
翹楚篇 | 莅戸善政 | 2014/5 | 2017/4 | 上杉鷹山の言行録,写本が多数出回り鷹山の明君像を作るに貢献したもの(2部例会,★) |
御代々式目 | 米沢藩 | 2010? | 現在 | 米沢藩の通達集,景勝からの通達がまとめられている。公式記録なので筆跡は流麗(2部例会,★) |
吉田綱冨日記(天明2~3年) | 吉田綱冨 | 2014/2 | 2018/1 | 綱冨は猪苗代組の下級武士で,この日記は糠野目口番所に勤務していた当時のもの(1部例会,★★★) |
綱勝文書 | 上杉綱勝 | 2011/9 | 2018/12/15 | 上杉景勝・定勝の次の三代目米沢藩藩主の上杉綱勝が江戸家老千坂兵部に指示した手紙,千坂家に保存されていたもの(1部例会,★★★) |
アメリカ国より帰国人答え | 勇次郎 | 2014/2 | 2014/4 | 嘉永5年に難破漂流しアメリカ船に救助された記録(2部例会,★★) |
武将文書(上杉家文書) | 多数 | 2004/11 | 2014/1 | 国宝の上杉家文書は,関東管領上杉家が保有していた文書を含み,足利将軍,鎌倉公方,関東管領や室町からの多くの武将の文書が含まれている。主に中世文書を対象に読んだ(1部例会,★★★) |
管見談(農人の部) | 藁科立遠 | 2012/8 | 2014/1 | 管見談は,藩政改革の意見公募に応じた改革案。藁科の父は七家騒動で連座し失脚し藁科も蟄居閉門の身だったが,管見談が認められて復権。長文なので,そのうち「農人」部分のみを読んだ(2部例会,★) |
飯粮集 | 藩医たち | 2011/9 | 2012/7 | 天明3年に藩の命令で救荒植物について解説したもの。(2部例会,★★) |
御成座敷邯鄲枕 | 著者不明 | 2009/11 | 2011/8 | 上杉重定が藩主の時に下級武士から出世し藩政を牛耳った森平右衛門の物語。森は宝暦13年(1763)に江戸家老竹俣当綱に米沢城中で殺された。(2部例会,★★) |
大石家文書 | 大石家所蔵 | 2002/3 | 2011/8 | 大石家から米沢図書館に寄贈寄託された文書,奉行などを務めた(1部例会,★★★) |
農官江御諭之書 | 米沢藩 | 2006/10 | 2009/10 | 農村の役人に対し年貢収納などの心構えなどを達したもの(2部例会,★) |